意外と知らない横浜

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横浜外人墓地に眠る西洋人


 横浜市中区山手にある横浜外人墓地の案内と説明

 

鎖国日本に開国を求めるアメリカはペリー提督の率いる艦隊を日本に派遣しました。

最初の来航は1853年(嘉永6年)6月に軍艦4隻を従え三浦半島の久里浜に来航し、米国大領領の親書を幕府に手渡して開港をせまります。
翌年の1月に再び東京湾に現れたペリー艦隊は小柴(横浜市金沢区)沖に錨をおろし、3月には横浜村において会談が行われます。

 

 

 

横浜応接所が設けられ日米会談が行われようとした少し前に、黒船ミシシッピ号の船上で24歳のロバート・ウイリアムズ二等兵が帆柱から甲板に転落して死亡するという事故が起きました。

日米会談が始まるとペリー提督は埋葬地の提供を求め、今後日本で死者が出た場合を考え、遠い異郷に葬られる外国人のために故郷に通じる港が見える場所にアメリカ人用の墓地を要求するのです。

これに対し日本側は当惑し、水兵の亡骸を浦賀へ運び、長崎の外国人墓地へ移送するよう手配すると伝えました。

しかし、ペリーは即座に断り、米国がウエブスター島と名付けた横須賀の夏島への埋葬を主張するのですが、日本側はこれに応じず45分の協議の末、横浜にある日本寺院の附属地を提供することになります。

海の見える場所に外人墓地を設置して欲しいと願うペリーの意向を受け、横浜村の増徳院の境内を提供することとなり、外人墓地埋葬者第一号になったウイリアムズですが、

3ヵ月後の5月20日に遺体は埋葬地から掘り起こされ伊豆下田にある玉泉寺に運ばれています。

それは、日米和親条約の付加条項第5條に、下田柿崎玉泉寺にアメリカ人用墓地を設けることが決められたためで、現在ペリー艦隊の日本遠征中に死亡したアメリカ人5名が眠っています。

 

 

横浜外人墓地入り口の横には外人墓地資料館が建てられ、山手の丘に眠る人たちの名簿やパネルが展示してあります。

 

横浜外人墓地に埋葬されている西洋人

 

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横浜外人墓地資料館

入館料 無料(募金公開時を除く)
開館時間 10:00~17:00
資料館休館日 月曜日

 

墓地内は通常非公開ですが、
現在では無縁墓地が増え続けているため、「募金のための墓地内一般公開」としてイベントを行い、募金を集めています。

3月~12月の土曜日、日曜日、祝日は公開(雨天は除く)

墓地の維持管理のための募金 200円~300円程度
墓地内公開時間 12:00~16:00

 

アクセス

横浜市営バス  11系統 20系統 「港が見える丘公園」バス停より徒歩1分
みなとみらい線 元町中華街駅 6番口より徒歩3分
JR根岸線 石川町駅 元町口下車徒歩25分
専用駐車場 なし

 

山手周辺はデートコースとしても有名なスポットでお洒落なレストランなどが建ち並んでいます。

 

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Updated: 2015年5月20日 — 2:58 PM


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