意外と知らない横浜

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ポトマック河畔に咲く桜秘話


エリザ・R・シドモア

母はエリザ・C・シドモア
オハイオ州キャントンに生まれ92歳で横浜にて死去。
弟のジョージ・W・シドモアは、1890年(明治23年)12月10日から1891年(明治24年)5月31日まで、駐横浜アメリカ合衆国領事館の副総領事を務めた人物で、外交官を辞めたあとは弁護士をしていました。

 

1歳年下のエリザ・R・シドモアはアイオワ州クリントンで生まれ、職業はジャーナリスト。
彼女は日本各地のサクラの名所を訪ね、1冊の本にまとめ上げています。
なかでも東京向島のサクラに強烈な印象を受けていたようです。

 

エリザの想い 

 

現在米国の首都ワシントンにあるポトマック河畔に咲く桜は、
当時の東京市長であった尾崎行雄が日米友情の証に、アメリカへ寄贈した事はよく知られていますが、実はこれにはエリザが深く関わっているのです。

 

 

1909年(明治43年)アメリカに戻ったエリザは、ポトマック河沿いを造成し公園にする計画を聞き込むと、すぐさま行動に移します。

ジャーナリストでもあるエリザは、当時の第27代タクト大統領の夫人であるヘレンに面会を求め、ポトマック河沿いに桜を植える計画の一部始終を語りました。
話を聞いた大統領夫人はいたく共感し、すぐにでも行動を起こしそうなほど積極的であったそうです。

このポトマック河畔に桜を植える計画を耳にしたマスコミが新聞で大きく取り上げた事がきっかけとなり、領事館も動き出す事となります。

ニューヨークの水野幸吉総領事は外務大臣に「東京市長から桜の苗木を贈ればアメリカと日本の友情の証になる」と進言し、
高平駐米大使も小村寿太郎外相宛てに電報を打ちました。

腰の重い外務省もついに動き出し、東京市に対して桜の苗木をワシントンへ贈るよう正式に申し入れをします。

1909年(明治42年)8月18日に東京市会はワシントン市に10種、1種200本づつ合計2000本もの桜の苗木を寄贈する事を決定し、苗木の運搬は日本郵船の加賀丸(6301トン)が無償で引き受け、同年12月にシアトル港に陸揚げされました。

アメリカのマスコミは日本から届けられた桜の贈り物を一面で報道し、東京市長のもとには感謝の手紙がたくさん届けられましたが
米国の農務省で検査をした際に、苗木に害虫や、さまざまな微菌が附着していたために1本残らず焼却されてしまったそうです。

これで日米友好の計画が頓挫してしまうかと思われましたが
内田駐米大使が再度の寄贈を促し、苗木を出荷した東京興農園も償いの意味で1000本の苗木の寄付を申しでた事もあって、
1910年(明治43年)東京市は再度寄贈を決定します。

こうして十分に検査を受けた苗木が海を渡り、1912年(大正元年)4月25日にワシントンで植樹式が行われました。

エリザが感銘を受けた桜がワシントンに誕生した瞬間です。

ポトマック河畔に桜を植えて東京向島のような名所にしようと提案したのは他のだれでもない、エリザ・R・シドモアなのです。

 

 

日本から送られた桜である事を知る人は多いですが、陰に桜を愛する1人のアメリカ人女性、エリザの存在があった事ついて知る人は少ないでしょう。

 

その後エリザは1928年11月3日、72歳の時にスイスのジュネーブで亡くなってますが、
日本政府はその死を悼み、家族の眠る横浜外人墓地に移したそうです。

 

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Updated: 2015年5月20日 — 2:59 PM


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