不二家といえば東京銀座にある不二家が有名なので東京の会社だと思っている人が多いと思います。
ところが横浜元町が発祥の地なんですね。
不二家の歴史
1910年(明治43年)に藤井林右衛門が25歳の時に横浜市元町2丁目86番地にお店を構えたのが始まりです。
最初は間口が約2.7m、奥行きが約3.6mの3坪しかない小さなお店でした。
当時日本人を相手にした商売をするなら伊勢佐木町か馬車道周辺に店を構えるのが普通でしたが
創業者の林右衛門は横浜に進出していた外国人にターゲットを絞っていたので山手に近い元町にしたそうです。
藤井林右衛門は1885年(明治18年)に
名古屋の郊外で農業をしていた岩田林七の四男二女の末っ子として生まれています。
幼いころ周辺には鉄道関係で働く人々が多く移りすんでいて
林右衛門の近所にも鉄道従業員の藤井善弥という人が住んでいて
家が近かった事もあり大変親しくしていたそうです。
林右衛門は藤井家に頻繁に出入りしており、
藤井家には子供がいなかったため奥さんに大変可愛がってもらったそうです。
この事が縁となり林右衛門が6歳の時に藤井家の養子になっています。
のちに洋菓子店を創業する時の屋号に藤井の姓と日本のシンボルである富士山にちなんで日本に2つとないお店という意味で「不二家」と名付けています。
その後所帯を持ち単身洋菓子視察のためアメリカへ渡りますが10ヶ月で帰国し、
ナショナルキャッシュレジスター1つを持ち帰って元町に店を出しました。
この当時日本では初となる天然果汁入りソーダ水を他店に先駆けて販売して
洋菓子店の隣に増設した喫茶店の名前も「ソーダ・ファウンテン」と名付けていました。
外国人相手の商売のため、洋式の水洗便所も設置してあります。
林右衛門の思惑通り元町の店が大繁盛すると
2号店として伊勢佐木町に出店します。
シュークリームを目玉商品として販売したところ、横浜の名物は「シュウマイと不二家のシュークリーム」と言われるほど人気が出たそうです。
その翌年の大正12年8月5日に銀座にお店を出したのですが
9月1日に起きた関東大震災で3店舗全てが火災により焼失してしまいました。
しかし翌年に伊勢佐木店と銀座店をバラック建てで再開すると
昭和5年に大森店と新宿店を開店。
その後も関西圏にも出店し昭和13年には株式会社不二家と改称します。
戦後も数々のヒット商品を開発し現在では全国区のネームバリューとなっています。
戦後といえば昭和27年に不二家が新たに取り入れた商品の中にソフトクリームがあります。
このソフトクリームは林右衛門の次男、藤井誠司が社長就任中にアメリカからソフトクリームの機械や付随品一式を輸入して銀座店で販売したのが最初で
これが大変人気が出たことで不二家全店の食堂に導入されることになりました。
そのほかにもドーナツの販売もはじめています。
また、不二家では創業当時からクリスマスケーキを既に販売していたそうで、
フルーツケーキを土台にして、たっぷりと使用したバターと粉と卵で固めた上に粉糖を溶かしたホンダンをかけて仕上げに銀玉で飾りつけをしたケーキは
見た目にも豪華で美味しいと人気があったそうです。
不二家のミルキー
もうひとつ不二家といえば、そう
ミルキーの話をしなければいけません。
ミルキーのパッケージは表面にペコちゃん、反対側にポコちゃんがプリントされていて今でも人気がある商品ですが
当初はジョッキーとか呼ばれていたそうで、
口に入れた瞬間にミルクの味が広がることから
「ミルキー」と名前を変更して売り出したそうですが
変更して大正解ですね!
ジョッキーのままだったらここまで売れてないと思います。
スクープ!ペコちゃんの秘密
昭和25年ごろのアメリカ雑誌に載っていた広告の女の子の絵を
漫画風にデフォルメしたのがペコちゃんの原形だそうで
これを張りぼての人形に造り上げて銀座6丁目の店頭に設置されたのが最初で
店の前を通る子供たちがペコちゃんの頭を叩いたりして喜んでくれたことから全国の不二家の店頭に置かれるようになりました。
ペコちゃんの名前の由来は子牛を意味する「べこ」を西洋風にアレンジして「ペコ」と名付け
彼氏のポコちゃんは室町時代の子供のことを「ぼこ」と呼ぶことから
こちらも西洋風にアレンジして「ポコ」になりました。
昭和33年に「ペコちゃんの年はいくつ?」というキャンペーンを実施してますが
その時に一番多かった回答が6歳だった事で
ペコちゃんは永遠の6歳となり、ボーイフレンドのポコちゃんはひとつ年上の7歳に設定されたのです。
その他の家族構成については広げていくと際限がないということで2人だけにしたそうです。
最後にペコちゃんの身長は1メートルで
スリーサイズは
バスト 58cm ウェスト 55cm ヒップ 63cmとなっております。
今ではこんなペコちゃんグッズが販売されています。