意外と知らない横浜

横浜の歴史や事件、関係が深い人物の説明や観光スポットの紹介。

攘夷事件と関内の由来・幕末の横浜


開港当時の横浜

 

横浜港は1859年7月1日(安政6年6月2日)に開港されましたが、開港直後から外国人の殺傷事件が相次いで発生しています。
1859年に起きたロシア人士官と水夫の殺害事件に始まり、フランス領事館の使用人殺害事件、1860年のイギリス総領事館の通訳殺害事件、オランダ船の船長殺害事件と続き、
有名な事件では1862年の生麦事件や1863年の井土ヶ谷事件、1864年の鎌倉事件などがおきています。

 

攘夷論(じょういろん)

 

攘夷論とは幕末期に広まった考えで夷人(外国人)をしりぞける。
つまり外国人を実力行使で排除しようという思想のことで、当時、国内には西洋諸国との交流を嫌う勢力が存在していました。
横浜の開港場付近には攘夷派と呼ばれていた浪人たちが外国人を襲撃しようと全国から集っていたのです。
攘夷事件を食い止めるために幕府は関門を設置するこになります。

 

関門

 

現在横浜市中区にあるJR「関内」駅という名称が、開港場近辺に設置されていた関門に由来していることは良く知られています。
当時、関門の内側が関内と呼ばれ、外側が関外と呼ばれるようになり、その呼び名が現在も残っているのです。
関門が設置されたのは1859年(安政6年)のことで、開港場の周りに流れている川に架けられたすべての橋に関門が設置されたそうです。
波止場には門番が置かれ、開港場の中には番屋が設置されて神奈川奉行所の番人が詰めることになりました。

関門では兵士が警備にあたり、開港場に入る際には人数と名前などの厳しいチェックがなされています。
駕籠に乗った者や覆面などで顔を隠した者の通行は禁止、武士には通行手形を発行して、手形を持たない者については入場を禁止しました。
これらの厳しい規制により、開港場での外国人殺人事件がなくなっていったようです。

 

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Updated: 2015年5月20日 — 3:49 PM


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